片恋〜栞編〜

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20 繰り返す名前




 吉田くんと図書室で会ったあの後も、変わらず吉田くんはメールをくれたり、学校でも普通に話しかけてくれた。あの時言っていた事も、表情も、気にはなったけど、私からは何も聞かずに自分から話してくれるのを待つことにした。

 今日は絵梨と二人で土手沿いの道を学校から帰る。今日は文化祭の準備で下校時間はばらばらだったから、生徒の姿もほとんどなかった。
 秋の川沿いはとても気持ちが良くて、おしゃべりに夢中になっていたのかもしれない。
 私達を後ろから追い越そうとした人と、ぶつかってしまった。

「あ! ごめんなさい!」
 同じ学校の男の先輩。校章の色で三年生だってわかった。その人の手にしていた飲み物が少しだけ制服と鞄にかかってしまった。
「あ、あーあ」
「すみません、大丈夫ですか?」
 もう一度謝ると、その先輩は私の顔を覗き込んで言った。
「全然大丈夫じゃないから、お詫びして?」
「……はい。クリーニング代出します」
 当然だよね? 怒ってるのかな、ちょっと怖い。
 慌てて鞄に入ってる筈の、小さなタオルとお財布を探そうとすると、もう一人一緒にいた男の先輩が笑った。
「クリーニング代出すんだったら、このままどっか寄ろうよ」
「え……」
「どこ行きたい?」
 え、やだ。何で急にそんなこと言うの? 絵梨と顔を見合わせる。
「あの、無理です」
「だってお詫びしてくれるんでしょ?」
 お詫びはするけど、そんなこと言ってない。何か怖い、この人達。
「カラオケいこっか?」
「……」
 思わず俯いて、その人の足下を見る。まだ何か言ってるみたいだけど、もうよくわからない。え……嘘、絵梨の足音が遠ざかる。何で? 待ってって言いたいのに、俯いたままで足も動かない。

「どうしたの?」
 突然の声に顔を上げると、先輩の後ろに吉田くんが立っていた。
「吉田くん!」
 何で?! 何でここにいるの? ……もしかして、ううんもしかしなくても絵梨が吉田くんを呼び止めたんだ。 絵梨の姿が無いって事は、多分吉田くんが帰らせたんだね。良かった、一緒にいたら何されるかわからない。
「吉田……? こいつ二年の吉田か」
 急に先輩達の顔色が変わった。
「じゃあお前の方がいいんじゃないの?」
 ぶつかった先輩に声をかける。
「こいつさ、理佐と付き合って駄目になったんだよ。お前が原因で」
「え」
「吉田くんが忘れられないんです。ごめんなさいってさ」
「……」
「お前が理佐振ったんだろ? 調子に乗りやがってよ」
「……」
 吉田くんは黙って先輩を見ていた。

「んじゃ、いこ」
 先輩はまた私に声をかけて、肩に手を置いた。触られた肩がすごく嫌がってる。
「ごめんなさい。わざとじゃなかったんですけど」
「もうそのことはいいからさ。どこ行く?」
「あの、無理です本当に」
 もう嫌だ。ほんとにやめて。声が震えて上手く言えない。
「嫌がってるから、やめて下さいよ」
 その時吉田くんが先輩の肩を掴んで私から離してくれた。けど次の瞬間、先輩は吉田くんの胸元を掴んで怒鳴った。
「あっち行けっつってんだよ、お前は!」
「……平和にいきましょうよ。気に食わないなら謝りますから」
 吉田くんの口調は静かだった。
「へえ……んじゃここで土下座しろよ。この子と、理佐の分も」
 な、何言ってるの? この人。
「……いいですよ。土下座で済むならします」
 彼はその場に跪いて頭を下げた。あ、どうしよう。吉田くんがそんなことする必要ないのに……! 彼に近付こうとした途端、目の前にいた先輩が吉田くんの前に立っていきなり彼の顔を蹴った。

「いっ……て……!」
「!!」
 いやだ! 誰か、誰か呼ばないと! 咄嗟に鞄から携帯を取り出そうとした腕を、もう一人の先輩に掴まれた。
「!」
「いい子だから、黙って見てようね?」
 口調は優しいけど、顔が怖い。手が震える。どうしよう、どうしよう……!

「まだ顔上げるなよ。いいって言ってないぜ?」
 先輩はまた吉田くんを蹴ろうとして足を上げた。やめて!!
 咄嗟に目を瞑る。けど何も聞こえない。恐る恐る目を開けると吉田くんは先輩の足を掴んでいた。
「だから、平和にいこうつってんのが、わかんねーのかよ……!」
 怒ってる吉田くんの声、初めて聞いた。
「いってえ!! は、離せよ」
「お前ふざけんなよ」
 私の傍にいた先輩も駆け寄っていく。吉田くんは掴んでいた先輩の足を持ち上げて、そのまま乱暴に離した。先輩はその拍子にひっくり返って、吉田くんが立ち上がって先輩達を睨みつけると、そのまま二人は何か言って、その場を去って行った。

 あ……あ、良かった。
 吉田くん、吉田くん、吉田くん!!
 私は心の中で、吉田くんの名前を何度も繰り返していたけれど、どうしても声が出ない。

 彼は制服に付いた土を払って、切れた口の端の血を拭って、顔を上げて私を見た。

「よ、吉田くん!!」

 目が合った途端、やっと声が出せた。けど、声と同時に涙が突然、零れ落ちてしまった。




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