カルボナーラとフレンチトースト続編

(3)かわいい後輩




 私にも後輩ができた。

「工藤さん、これはどうしたらいいんですか?」
 短大卒で新人の富山さん。今年はこの部署に入って来たのも彼女だけ。去年は岡崎くんという男の子が大卒で入って来た。
「あ、はい。えーとそれはね、」
 こう見えて、私ってば仕事はきちんとこなすんだから。もう三年目だし緊張するけど、しっかり教えてあげないと。
 富山さんが失敗したら、私が責任を取る。そういう覚悟を持って仕事を教えていかなくちゃならない。……なーんて、少しは大人になれたのかな?

 十月も中旬に入って暑さも和らぎ、皆ようやく秋の装いも馴染んで来たみたい。彰一さんのスーツ姿を目にするだけで、カッコよくてキュンとしちゃうけど、じっと見れないのがつらい。この会社、社内恋愛オープンな人もいるけど、私達はやめようねって約束している。周りも仕事しづらいだろうし、私達だってそれは同じ。
 毎日バレないようにヒヤヒヤするんだよね。彰一さんは完璧だけど、私は自分でも気付かない内に、何かやらかしてそうだから気をつけないと。

 パソコンに入力をしていると、もう一度富山さんが声をかけてきた。
「工藤さん、すみません。何度も」
「ううん、いいよ」
「もう一回さっきの所なんですけど」
「メモは? 取ってる?」
「取ったんですけど、やってみたらよくわからなくなってきて」
 心細そうに私を見つめる富山さんは、素直ですごくいい子。可愛らしくて、私が何とかしてあげなきゃって思ってしまう。後輩にこんな子が来てくれて、私はラッキーかも。営業にいる同期の子なんて、後輩がすっごい生意気だってこの前グチ言いまくってたし。
 人事部長に感謝しなくちゃ。バーコードだけど。もうバーコードすら危うくなってきたけど。でも最近禁煙したみたいだし、前よりは全然苦手じゃない。

「あ、それでここは……もう一度誰かに確認取ってもらえる?」
「はい」
 周りを見回すと、先輩たちは席を立っていていない。少し離れた場所にあるデスクに、彰一さんが座っているのが見えた。
「じゃあ、皆川さんがいいかな。声かけてみて?」
「わかりました」
「わからなくなったら、私に言ってね?」
 仕事を覚えて欲しいから彰一さんのところへ行ってもらったけど、ほんとは私が行きたかったな。二人の話をする姿を遠目で確認した後、何となくため息が出て、そのままパソコンへ視線を戻す。
 もう何日彰一さんと会ってないんだろ。こうやって会社では会えるけど、最近彼は企画室に篭もりっきりで、今ここにいるのが珍しいくらいだから、会った気がしない。ひどい時は挨拶すらしないで一日会えない時もあるし……。


「皆川さんて、優しいですよね」
 トイレで一緒になった富山さんが、マスカラを塗りなおしながら鏡の前で言った。
「え?」
「教え方も丁寧だし、忙しそうにしてても落ち着いて見えるし。当たり前ですけど大人だし」
「……うん。そうだね」
 なに? 今私、胸がどきんとした。
「それに比べて、岡崎さんは全然ですよね……!」
「岡崎くん? どうしたの、急に」
「……私が聞いても、まず自分で考えてから来い、ってすごくそっけないんです」
「そうなの?」
「はい。人のボールペン使ったらそのまんまだし、電話も変わってくれないし、書類作ってもうんともすんとも言わないし。皆川さんとは大違いですよ」
 いつもと違ってすごい勢いの彼女に、少し驚いて鏡越しに顔を見つめる。ネイルを気にしていた彼女が、私と目を合わせた。
「皆川さんみたいな人が彼だったら、すごく幸せになれそうですよね」
「う、うん」
「彼女とかいるのかな。工藤さん知ってます?」
「……さあ」
 化粧ポーチに入れようとしたグロスを、洗面台の中へ落としてしまった。カラカラとトイレ中に乾いた音が響き渡る。

 私、だよ? 彼女。私が彰一さんの彼女なの。だからそんなこと言わないでって言いたいけど、絶対に言えないのがもどかしい。
 この前、秋子に言われたことが蘇る。突然富山さんに対してコンプレックスが湧いてきた。
 若くて可愛くて、素直で……。

「……さん」
「……」
「工藤さん?」
「……はいっ!」
 パソコンの陰から私を覗き込んだのは彰一さんだった。慌てて机に乗っていた書類と手紙の束をバサバサと落としてしまった。あーもう、私の馬鹿! 何でよりによって彰一さんの前でやっちゃうの?
 彼は私のデスクの脇にしゃがんで、私と一緒に散らばった紙を拾ってくれた。
「すみません……」
「いや、いいけど。これ、もう一回指定日変えて入れてくれる?」
「はい。わかりました」
 受け取ろうとしたのに、彰一さんは差し出した書類から手を離さない。
「?」
「……大丈夫?」
 顔を上げると久しぶりに間近で見る彼の顔。大好きな香水の匂いが私を包んだ。
「はい。ごめんなさい」
 返事を聞いた彼は頷いた後、小さく笑って立ち上がった。

 背を向けて離れて行く彰一さんに……待って、って言いたい。でも彼が振り向いたら何て言うつもり?
 初めてだ、私。会社でこんなこと思うの。今まで、ただここに来れば彰一さんに会えて、仕事も楽しくて、付き合っていること隠しててもそれが辛いなんて思ったこと無かった。

 ――私が彼女なの。
 言ってしまいそうになる自分が、すごく嫌。

 忙しい彰一さんと、会えない日と、富山さんのさっきの言葉。
 いろんな不安が混ぜこぜになって心に引っかかったまま、キーボードを打ち続けた。



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