カルボナーラとフレンチトースト番外編

秘伝のレシピ(前編)




 結納と、その前にお家に連れて行ってもらった時と、結婚式の時だから……お義父さんとお義母さんにお会いするのは、これで四度目。

 彰一さんの運転する車の助手席から遠くへ目をやると、海が見えてきた。真っ青な海は夏の日差しを受けて、眩しいくらいに輝いている。
「優菜ちゃん、お腹空かない? 次のサービスエリア、寄ってみようか」
「全然、空かないの」
 今朝どころか昨夜からあんまり食べたくないし、ほとんど眠れてない。
「そんなに緊張することないって。もう何度も会ってるんだから」
「でも、お泊りするのは初めてだし……」
「大丈夫だよ。皆楽しみにしてるって、昨日も電話で言ってたじゃん」
「……うん」
「俺が一緒だから平気でしょ?」
 笑った彰一さんが左手で私の頭を、ぽんぽんと触った。
 結婚してから三か月。今日は彰一さんの実家に初めて泊まらせてもらう日。

 高速を下りて見覚えのある広い道をずーっとずーっと車で走って行き、何度か信号を曲がって彰一さんの実家に着いた。時間はちょうど夕方の六時。どこからか、ひぐらしの鳴き声が聴こえた。
 田舎、というほどでもないけれど、お家は大きいし、玄関前に車が三台は停められるスペースがある。
 車から降りて後ろの座席から荷物を取り出す。お土産、気に入ってくれるかな。
「彰一! ちょっとあんた、いい時に帰って来たね。優菜ちゃん! こんにちは」
 玄関のドアを開けて外に出てきたお義母さんが、笑顔で私たちの方へ走って来た。
「お、お久しぶりです! 今日はお招きいただいて……」
「そんな堅苦しい挨拶はいいから、急いであがってあがって」
 温かい手が私の腕を掴んだ。な、なんだろう?
「彰一、ちょっと優菜ちゃん借りるよ」
「何だよ、着いた早々」
「いいから、あんたは車から荷物下ろしてなさい。優菜ちゃん、いこ」

 家の中に上がり、そのまま奥まで小走りに連れて行かれた。明るくて広々としたキッチン。去年リフォームしたばかりだって彰一さんが言ってたっけ。お義母さんが大きな冷蔵庫を開けながら言った。
「優菜ちゃんの得意な料理って何? 最近作ったもので」
「得意、ですか?」
 どうしよう。最近彰一さんに好評だったもの……。
「あの、豚肉の薄切りに、ごま油に浸けたほうれん草を巻いて、パン粉をつけて揚げるんですけど……」
 簡単だけど切り分けると彩りがいいから豪華に見えるし、味も良かったんだよね。
「ふんふん。ほうれん草も豚肉もここにあるわ。豚はロースでいいの?」
「あ、はい。ロースでもバラでも薄切りなら」
 って、もしや私が作るとか? まさか、まさかだよね? なんて考える間もなく、お義母さんがキッチンを歩き回って説明を始めた。
「ガスは無くてIHだから、スイッチはこれね。お鍋は全部この棚。揚げ物用の鍋はこれ使って。調味料と油はここ。材料は冷蔵庫から好きなだけ使っていいから」
 てきぱきと教えてくれるお義母さんの言葉に取りあえず頷いたけど、どういうことだろう。
「わかった?」
「え? あの、はい」
 にっこり笑ったお義母さんの表情は、少しだけ彰一さんに似ていた。
「私、これから自治会に出なきゃいけないのよ。急に呼ばれちゃってね。それで悪いんだけど優菜ちゃん、その一品だけで大丈夫だから、作っておいてくれる? 煮物やなんかは私がこしらえたのがあるから」
 え、えええ!
「ああ、ご飯も炊いておいてくれると助かるわ。大人だけだし、どうせ男どもは飲むんだろうから、3合でいいか」
 彰一さんの実家で、まさかのそんな大仕事、どうしよう……。動揺した私を炊飯器の前で振り向いたお義母さんが言った。
「お父さんは何も出来ないのよ。彰一は作れるんだろうけど、でも私は優菜ちゃんが作ったものを食べてみたいの」
「お義母さん」
「二時間くらいで帰るから任せたわよ、お嫁さん。頑張ってね」
「は、はい。頑張ります!」
 優しい声と共に背中をぽんと叩かれ、何だかすごく嬉しくなってしまった。
 よし、頑張ろう。お義母さんにいいところ見せよう。この後、お義姉さん夫婦もいらっしゃるって言うし。大丈夫、料理はだいぶ自信がついて来たんだから。それに一度お邪魔した時にキッチンをお手伝いしたことがあるから、全く初めての場所って訳じゃないんだし。

 頼んだわよーと言って、お義母さんは自治会へ出掛けた。廊下に残された私と彰一さんとお義父さん。彰一さんが私の顔を覗き込んだ。
「大丈夫? 俺、手伝おうか?」
「いろいろお義母さんに教わったから大丈夫。彰一さんは座って待っててね?」
「わかった。でもなんかあったら言うんだよ?」
「うん」
 お義父さんも心配そうに私の顔を見てる。大丈夫ですよー、って笑顔を返してキッチンへ向かった。気合入れるぞー!

 家で作ったレシピを思い出しながら下ごしらえをする。ほうれん草を茹でたあと、ごま油とお醤油に少しの時間浸けておいたら、二枚の豚肉で巻いて小さなロールケーキみたいにくるくると巻いていく。
 こんなにたくさんの量を作ったことないから、失敗するかと思ったけど、今のところは大丈夫そう。取りあえず、巻いたものがたくさん出来上がった。うん綺麗にできた。完璧じゃない?
「あ、ご飯炊かなくちゃ」
 危ない危ない、忘れるところだった。
 小麦粉、卵、パン粉をつけ終わった豚肉を揚げている間に、お米を研いで炊飯器に入れる。家のと違うから戸惑ったけど、どうにかスイッチを入れて炊き始めた。
「いい匂い」
 じゅわじゅわと油の中で豚肉が踊ってる。もうそろそろかな? キッチンタイマーがないから、わからない。でもいい色に揚がってるし、大丈夫そう。お鍋から引き上げてバットで油を切る。なんか順調だし、もう一品作れるかも。あら、優菜ちゃん気が利くわねー、なーんて言われちゃったりして。
 鼻歌交じりに揚げたてのお肉に包丁を入れた。サクッといい音がして、上出来! と笑おうとした私の顔が次の瞬間引きつった。
「え、何で?」
 内側のほうれん草に近い所のお肉が赤い。牛肉ならこれくらいアリかもしれないけど、豚肉ってよく火を入れた方がいいんだよね? 今、切ってみたものだけじゃなくて、全部こうなってるのかもしれない。
 うちはガス台で調理してるから勝手が違ったんだ。
「どうしよう……」
 もう一度揚げる? でも、そんなことしたことないからわからない。焦げて硬くなっちゃうかもしれない。この材料は全部使い切っちゃったから後が無いよ。
「どうしたの? 優菜ちゃん」
 ぶつぶつ言っていた私に気付いたのか、彰一さんがキッチンを覗きに来てくれた。
「いい匂いだね。出来上がったんだ」
「ううん、中が生焼けなの。見た目はよく揚がってたから大丈夫だと思ったんだけど……」
 顔から血の気が引いていく。
「お、お義母さん帰ってきちゃうかな? お義姉さんも、もうすぐ到着するんだよね? もう一度揚げたら外側が真っ黒になっちゃいそう」
 キッチンを無意味にうろうろする私の腕を彰一さんが掴んだ。顔を上げるといつもの優しい笑顔。
「優菜ちゃん落ち着いて。二度揚げしてもいいんだろうけど、レンチンすれば中に火も通るし焦げないんじゃない? オーブンシート敷けば、衣もべたつかないよ」
 車の中でもしてくれたように、そっと頭を撫でてくれた。笑顔と一緒の優しい優しい感触。少しだけ、落ち着いたかも。
「あ、そっか。……やってみる」
 言われた通りにレンジへ入れ、5分ほどで取り出して包丁で切ると、中までちょうどよく火が通っていた。中心のほうれん草も綺麗な色をしている。
「ただいまー」
 玄関からお義母さんの声。お義姉さん夫婦も一緒に来たみたい。間に合って良かった……。
 でも、結局また彰一さんに助けてもらっちゃった。情けないな、本当に。

 今日は人数が多いから、とリビング横にある和室で大きなテーブルを囲むようにして座った。クーラーがほんのり効いてて気持ちがいい。
「美味しいよ、優菜ちゃん」
「あ、ありがとうございます」
「今度私も作ろうかしら。彩りも綺麗だし、こういう味作ったことないわあ。ね、お父さん」
「仲良くやってるみたいで安心したよ、うん」
 優しい声でお義父さんがお義母さんに頷いた。正面に座っているお義姉さんが、首を傾げる。
「? お父さん、優菜ちゃんの料理の話してるんだけど、大丈夫?」
「わかってるよ。美味しい美味しい。うんうん」
 ……なんか、いたたまれない。お義父さんにはバレてるんだよね、彰一さんがアドバイスに来てくれたこと。彼がいなかったら、私はパニくったままだった。たった一品、頼まれただけだったのに。
 結婚した時、いいお嫁さんになろうって決めたのに。彰一さんとお付き合いしてから、ずっとお料理だけは頑張って来たのに。肝心なところで、どうして私ってこうなんだろう。

 食事も終わり、少し酔ったお義父さんとお義兄さんは畳の上で眠ってしまった。彰一さんはテレビを見ている。お義母さんとお義姉さんと一緒に、私も片づけを始めた。
 キッチンに入ってシンクの前へ行く。洗い物、しようかな。スポンジを手にした時、両側からお義母さんとお義姉さんが私の顔を覗き込んだ。
「あんまり食べなかったね」
「え?」
「緊張してるのかな?」




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