巨大な青い水槽の中で、体を銀色に反射させながら魚たちが泳いでいる。
 そういえば最近、永志の作ったカルパッチョ食ってねーな。
「美味そうだ」
「え?」
「これ食えるのかね?」
「さ、さあ……。まぁマグロですし、食べられるのでは」
 隣で俺の呟きを聞いた小川さんが、戸惑いながら答えた。

 九月上旬。
 プラネタリウムを二人で観に行ったあの日から、三か月ほどが経った。三か月の間に映画だの、食事だの、花火大会だのと、プライベートで小川さんと過ごす日が度々あった。というわけで、今日も彼女が提案した、都心から少し離れた場所の水族館へ来ている。魚の何が面白いんだからわからないが、彼女が来たいと言うのだから仕方がない。
「稲本さん。もうすぐイルカのショーをやるみたいですよ」
「へえ」
「観に行きましょうよ」
「……イルカ」
「絶対可愛いですから! ね?」
 小川さんは、俺と出掛けるときだけはジーンズをやめてスカートにしていた。今日も膝上のワンピースを着て、肩にカーディガンを羽織り、足元はヒールなんて履いて……。うん、まぁ可愛いんじゃないの。
「稲本さん?」
「ああ、行こう」

 四十分ほどのイルカショーを観た後、館内にあるレストランへ入った。
 窓際のテーブル席へ着く。レストラン内の真ん中には大きな水槽があり、色彩の美しい熱帯魚が泳いでいた。
「イルカ可愛かったですね。あんなに色々出来るなんて驚きました」
「だなー。頭いいよな、イルカ」
 人間にやらされてるというより、イルカ自身が「この仕事にやりがい持ってますっ!」って感じだった。……イルカって常にドヤ顔してるよな。
 ふと、小川さんが表情を変えて、俯き加減に言った。
「あの、変でしたか?」
「何が?」
「このワンピース……」
 胸のあたりに手をやり、ワンピースを触っている。
「何で?」
「イルカショーに行く前、じっと見てましたよね」
「俺と出掛ける時は、ジーンズじゃないんだなと思って」
「あ、あっちのほうが良かったですか」
「別に」
 テーブルの上のグラスを手に取り、水を飲む。
「そういう格好も可愛いって思っただけ」
「ほ、本当に?」
「俺は嘘は吐かない」
「……良かった」
 はにかんだように小川さんが笑った。
 俺の言葉や態度に一喜一憂する彼女を見て、不思議な気持ちになる。
 押しつけがましいわけじゃなく、かといって何も言わないで一人で勝手に怒ったりもしない。こういうタイプと付き合うのが初めてだからか、一緒にいればいるほど彼女を新鮮に感じる自分がいた。

 レストランを出ると体験コーナーのようなものがあった。低い水槽にヒトデやカメ、カニなどがいて、自由に触れるらしい。親に連れられた小さな子供たちや、まだ夏休みなのだろう大学生カップルが群がっている。
「触る?」
「え、えーと、ちょっと苦手かな」
「俺も。食うのは得意だけど」
「稲本さんって、そればっかりですよね」
 楽しそうに笑った小川さんは、さっきから俺のTシャツの裾に捕まっていた。はぐれない為だろうが、いい大人がこうやって歩いているのもおかしいよな。
 そう思った俺は小川さんの手を取り、握った。
「あ」
 滅多に手なんか繋がないせいか、彼女は驚いていた。俺の手に収まる彼女の手は当然俺よりも小さく、ひやっとしていた。……ん? ひやっと?
「寒いか?」
 少々心配になり、手を離して彼女の顔を覗き込む。
「えっ」
「手が冷たいけど」
「いいえ、大丈夫です! いつもこんな感じですから」
「ふーん」
「あっ、でも、この辺がすーすーするかなぁ、なんて」
 俺から目を逸らした彼女は、自分の肩を撫でた。
「じゃあそれ、羽織ってるカーディガン着ればいいじゃん」
「えっ、あ……そう、ですね」
「?」
 何をそんなに残念がってんだ?
 再び彼女の手を取って歩き始めると、目の前に若いカップルがいた。男が女の肩を抱き、仲良さそうに水槽を眺めている。
 あー、なるほどね。もしかして肩を抱いて欲しかったのか。
「……」
 タイミング逃したし、今さらいいだろ。

 夕飯を軽く済ませ、永志に借りていた車で小川さんの家まで送った。椅子カフェ堂がある駅から、車で十分ほどの閑静な住宅街だ。
「今日はありがとうございました」
 助手席でぺこりと頭を下げた小川さんは、小さな声で続けた。
「こ、今度……稲本さんのアパートに、行っても、い、いいですか」
「何で?」
「何でって……」
 俯く彼女は、膝の上にあるバッグの取っ手を握りしめている。
「狭いし汚いぞ。楽しいもんあるわけじゃないし」
「それは、いいんです」
 ろくに掃除もしてないしな。寝るだけに帰るような場所で、彼女が喜びそうなものはないはずだけど……
「ああ、でもお前が好きそうな家具の本はあるな。読みたいなら来れば」
「……はい」
 別れ際の挨拶をする為に、俯いている小川さんに近づいた。
 これで三回目になるか。
 六コ下の女と付き合ったことなんて無いせいなのか、どうにも小川さんには手が出しづらかった。勝手が違うというか何というか、正直どうしていいかわからない。
「ん」
 前髪のかかった額に、軽く口を付ける。まだこんなもんでいいだろう。うん、これくらが妥当だ。……いい匂いがするな。と、彼女の髪の香りを堪能しようとした、そのとき。
 ぐいと両頬を押さえられ、俺の口に柔らかいものが当たった。
「!?」
 動揺のあまり、一瞬何をされているのかわからなかった。さっき嗅いだ彼女のいい匂いで、目の前がいっぱいになる。つか俺、小川さんにキスされてるんだよな!?
「んぐぐ」
 し、舌入れてきてるぞ……!!
 柔らかで温かなものが俺の舌を捉え、優しく絡ませてきた。こういう感覚はいつぶりだろう。頭の芯がクラクラして体の奥が熱くなる。あの小川さんが、と思うだけで抑えきれない興奮が込み上げ、俺のほうから深く絡ませようとした時、唇が離れてしまった。
 え、何だよ、これからじゃないのかよ。
「私、もう二十四なんです!」
 息を切らせている小川さんが、涙目で俺を睨んだ。
「し、知ってる」
「知ってるなら、いつまでも子ども扱いしないでください……!」
 小川さんは助手席のドアを開けて飛び出した。
「じゃあ、お、おやすみなさい!!」


 翌朝、椅子カフェ堂へ出勤した俺は、まだ誰もいない事務所で考え続けていた。椅子に座ってペットボトルの水を飲み、スマホを弄り始めるが、画面の内容なんて全く頭に入って来ない。
「おはようございます、職人さん」
 自分からキスしておいて、何であんなに怒るんだよ。
「九月っていっても、まだまだ朝から暑いですよね〜。あ、今日は秋の新作用にマロンプリン作ってきたんですよ」
 子ども扱いだ……? そりゃ、彼女にそういうことをするのが、まだ早いと思っていたのは事実だ。だからって、それがイコール子ども扱いって何だよ。
「試食を……、職人さん?」
 でも、勇気いったろうな。自分からあんなキスしてみるとか、相当思い切った行動だよな。
「どうしたんですか? 職人さん大丈夫ですか?」
 いい匂いだったし、柔らかかったし、嫌な気分じゃなかった。いや、嫌なわけないだろ。むしろ気持ちよかった。もう少し続けてれば……
「ねえ! 職人さんってば!」
「おわっ!? ああ、何だよ、くるみか。いつからいたんだお前」
 大声に驚いてスマホを落としそうになる。机を挟んで向こう側に座るくるみが、俺を凝視していた。あーびっくりした。……存在自体気付かなかったわ。
「今さっきからいましたが。どうしちゃったんですか? ぼーっとして」
 何かこれ、見覚えのあるシチュエーションだな。
「え、ああ。何でもねーよ」
 立ち上がったくるみは、事務所の冷蔵庫を開けて数個の瓶を取り出した。
「はい! 新作のプリンですよ〜!」
「……おう」
 小川さん、今日は修業に来るだろうか。顔合わせづらいな。
「職人さん? あの、プリンですよ?」
「おう」
「どうぞ、食べてみてください」
 差し出された瓶の蓋を取り、スプーンで掬って口に入れる。
「どうですか?」
「おう」
「美味しいですか?」
「おう」
 そういえば昨日、水族館で何食ったっけ。ああ、俺はシーフードパスタだったんだ。
「良かった〜。でも季節的には、ちょっとまだ早いですかね」
「おう」
 水族館でシーフードってエグイな。
「職人さん?」
「おう」
「……それ、本当は唐辛子入ってるんです」
「おう」
「職人さんのばーか、あーほ」
「おう」
 小川さんはオムライスだった。今度どこか、美味いオムライスの店にでも連れて行ってやろうか。
「職人さん病院行きましょう! 今、永志さんに車出してもらいますから!」
「おう」
「良晴おはよー。プリン食った? 美味かっただろ、それ」
 永志さんが事務所へ入ってきた。
「え、永志さん! 職人さんが変なの! おう、しか言わないんです……!」
「どうした良晴?」
「おう」
 機械的にプリンを口へ運ぶ。小川さんはプリン、好きだろうか。
「昨日小川さんと出掛けたんだろ? 何かあったのか?」
「なっ! 別に何でもねーよ!!」
 永志の言葉にハッとし、思わず大声を出した。
「動揺し過ぎですよ、職人さん。やっとしゃべったと思ったら、小川さんが原因なんですか?」
「はあ!?」
「心ここにあらずでしたよ。さっきから何食べてるかわかってますか? プリンですよ? 職人さんの大好きな」
「わ、わかってるに決まってんだろうが。うめーな、これ!」
 瓶の中のプリンをスプーンでほじくり出し、一気に口へ入れた。
「職人さん、顔が真っ赤です」
「もしかして、恋わずらいだったりして」
 ぷっと噴き出す夫婦を睨み付けると、永志が慌てて謝った。
「悪い悪い、冗談だよ」
「いや……そうかもな」
 思わず、言い返していた。否定できるだけの言い訳が浮かばないのは否定できない。って、頭の中の日本語まで変だ。
「ぼーっとしてて悪かったな、くるみ」
「え……! い、いえいえ、大丈夫ですよ〜」
 謝るなんて、やっぱりどこかおかしいと、二人でこそこそ言っているのが聞こえた。あいつらは俺を何だと思ってるんだ。
 俺が恋わずらいだと? この年で? ショートヘアも、スタイルも、俺好みとは真逆の六コ下の女に、この俺が……?
 そんなもん認めて受け入れるには、そろそろ本気出すしかねーじゃん。初対面の時はとんでもない女だと思ったけど、それをすっかり覆すくらいに、彼女を可愛いと思えるようになったのは本当だ。
 と、気合を入れようとしたのに、その後小川さんは、ぱったりと椅子カフェ堂に姿を見せなくなった。


+


「職人さん、大丈夫ですか?」
「何がだよ」
「最近食欲ないですよね? まかないも、そんなに残しちゃって……」
 事務所の机で一緒に食事をしていたくるみが、心配そうに俺を見つめている。小川さんがここへ来なくなって、二か月になろうとしていた。プライベートでも会っていない。
 永志が作る塩キノコのパスタは大好物のはずなんだが、なかなか喉を通らない。
「作業してくるわ」
 席を立って皿を持とうとすると、くるみに止められた。
「あ、いいですよ。私が片付けておきます」
「残して悪いって、永志に謝っといて」
 頷いたくるみが、眉をしかめる。
「あの、職人さん……小川さんと連絡取ってるんですか?」
「先月一回だけ、スマホにメッセージが入ってた。忙しいんだとさ」
「それだけ? その後は?」
「……用があれば、また連絡してくるだろ」
「もう! ダメですよ、そういうの!」
「忙しいっつってんのに、しつこくして嫌がられても困るしな」
「何か誤解があるなら、言わなきゃ伝わらないと思います」
「……わかってるよ」
 事務所の裏口から出て、椅子カフェ堂の前の通りの自販機へ向かった。
 十一月に入った途端、だいぶ寒くなったな。ついこの前までの残暑が嘘のようだ。炭酸水を買って振り返ると、心臓がどきーんと大きく音を立てた。
「こんにちは」
「お、おう。久しぶりじゃん」
「すみません。連絡もしないで」
 そこにいたのは、ずっと待っていたショートヘア。厚手の細身なパーカに長いスカートを穿いた……小川さんだった。
「別に、それはいいけど」
「あの、お話があるんです。少しいいですか?」
 俺を見上げる瞳が真剣だったことに動揺する。平静を装い、自販機を指さした。
「なんか飲むか?」
「いえ、大丈夫です」
「じゃあ、倉庫で話そう」

 倉庫内に置いてある新作の椅子に彼女を座らせ、俺は傍の作業台に立ったままで寄りかかった。
「で? 話って何だよ?」
 足元にバッグを置いた小川さんが、たどたどしく話し始めた。
「水族館の帰りに、車の中で私が言ったこと、覚えてますか?」
「……ああ」
「あの後、ずっと考えていました。このままじゃ駄目だって。仕事を辞めて、何もかも中途半端な自分が、稲本さんに子ども扱いされても仕方がないって思いました」
 膝に乗せた両手を強く握っている。
「私、前の仕事をしている時にインテリアに興味が出て、コーディネーターの資格を取る為に勉強を始めたんです。仕事をしながらの勉強は大変でしたけど、好きな家具のサイト巡りで息抜きをして癒されていました。そんな時、稲本さんの家具に出会ったんです。稲本さんの家具を見ると心がときめいて、勉強を頑張ることもできました。それでどうしても実物を見たくなって、椅子カフェ堂へ通うようになりました」
 初めて聞いた話だった。
「稲本さんの家具に触れて本当に素敵だと思って、コーディ―ネーターをやめて家具作りをしてみたいとまで思いました。稲本さんに弟子入りしたいと言ったのは本気です。でも、稲本さんと一緒にいられるようになったら、そこに自分が甘えている気がして……やっぱりそれじゃあいけないと思ったんです」
「その資格っていうのは?」
「十月に一次試験を受けて合格しました。今は二次試験に向けて準備しているところです」
「へえ、すごいじゃん」
 顔を上げた小川さんが唇を噛み締めた。何かを決意した表情に見える。ガラにもなく、俺の心臓はドキドキと不安げな音を立て始めた。
「私、二次試験が通ったら、もっと勉強する為に、しばらく留学することに決めました」
「……」
「稲本さんに認めてもらえるように頑張ってきます。稲本さんに相応しい人になれるように、修業してきます」
「……そうか」
 ここに来なかった予想外の理由を聞いて、頭をぶん殴られたようだった。
 俺が想像していたのは、もっと違うことだ。
 俺に愛想尽かしたとか、俺の気を引くためにわざと連絡をしてこないんじゃないかとか……全く、くだらなすぎて笑えてくる。
「俺の意見、言ってもいいか?」
「……はい」
「その決意は素晴らしいことだと思う。中々できるもんじゃない。頑張ってこいよ」
「あ、ありがとうございます」
 椅子から立ち上がった小川さんは、深々と頭を下げた。
「でも訂正したいこともある。俺に相応しいとか、そういうのはやめてくれ」
 顔を上げた小川さんが、俺の顔をじっと見た。
「俺は、お前にそんなこと言ってもらえるような男じゃない。それに、俺はお前を子ども扱いしていたわけじゃない。でも、そんなふうに誤解させた俺が悪いと思う。ごめん」
「そ、そんな……謝らないでください」
「いつ行くんだ」
「二次試験が来年すぐなので、合格したら春にでも。もし不合格だとしても留学はしたいと思っています」
「そうか。決めたんだな」
「はい」
「じゃあその前に、俺のアパートに来いよな。美知恵」
 彼女の名を呼ぶと同時に、細い腕を掴んで引いた。
「な、名前……」
 俺の腕の中で小さくなる彼女が、震えながら呟く。
「その時は帰さないから」
「!」
「子ども扱い止めてほしいんだろ」
 応えるように、彼女が小さく頷いた。
「稲本さん……」
「良晴だ」
「え」
 驚いた彼女が、顔を上げた。その大きな瞳を覗き込んで確認する。
「俺の名前。知ってんだろ?」
「知って、ます」
「呼んでみ」
 あーあ、いい匂いだ。彼女の髪に口づけて、香りを堪能した。
「早く呼べよ」
「良晴、さん」
 もういい加減に認めてやるよ。本当はもうずっと前から、彼女とこういうふうにしたかったんだってことを。
「こんなふうにされたら、行きたくなくなっちゃい、ます」
「思う存分勉強してこい。何年かかってもいい。お前が帰ってくるまで俺、待ってるから」
 言いながら、細い体を強く抱き締めた。
「俺はお前が帰ってくるまでに、自分の仕事をもう少し広げてみる。お前は帰ってきたら、俺と結婚な」
「え……!」
「目標があれば頑張れるだろ、お互いに」
「は、はい……!」
 嬉し泣きする美知恵に顔を近づけ、唇を重ねた。
 この前のお返しとばかりに、深いキスをする。苦しがっても離してやらない。俺を落とすとはどういうことか、限られた時間の中で教えてやらないといけないからな。

 虫の声も聴こえなくなった冬の夜は静かだ。
 営業時間の終わった椅子カフェ堂のホールで、永志が淹れてくれた熱いカプチーノを飲む。くるみはまだ明日の仕込みに手間取っているようだ。
 永志は俺と同じテーブルでカプチーノを飲みながら、客の予約数をタブレットで確認している。
「永志、俺さあ」
「んー?」
「もうちょっと家具のほうに力入れるわ。ぼちぼちでいいやって思ってたの、撤回する」
「……何かあったのか?」
 タブレットから顔を上げた永志が、心配そうな表情をした。ああ、そうか。カフェの人手が足りなくなったら困るもんな。
「いや、ランチ時は手伝うしさ、まかないもお前らと一緒に食いたいからなるべくいるようにするけど。でもなんつーか、もっと頑張って出来る限りのことをしてみたくなったんだよ。だから、そっちに時間がもっと欲しくなったっつーか」
「ああ、そういうことか。やっとだな〜!」
「え?」
 急に満面の笑みになった永志に戸惑う。
「いや、やっとそういう気になったのかってこと。いいことじゃん、どんどんやれよ。カフェのことは気にすんなって」
 椅子カフェ堂じゃなくて、ただ単に俺を心配してただけか。相変わらず永志はいい奴だな。
「ああ、ありがとう」
「小川さんの為にも、な?」
「は!?」
「昼間来てただろ? 小川さん、帰り際に嬉しそうな顔だったし、お前も久しぶりに機嫌いいしさ。彼女の為にやる気出たんだよな?」
 永志がにやにやと笑い始めた。
「意外だよな〜。小川さんよりも、良晴のほうが入れ込んでるなんてさ」
「……」
 俺に何を言わせたいんだよ、こいつは。
「あれ、違った?」
「その通りだよ! 文句あるか!」
「ははっ! ないない。頑張れよ、良晴!」
 立ち上がった永志は、わざわざ俺のところに来て背中をばーんと叩いた。
「いっ……て」
 嬉しそうな顔して言われたら、怒れないだろーが。
「ということは、そろそろバイトでも雇わないとならないかな〜」
 席に戻った永志が、うーんと伸びをしなら言った。厨房からやって来たくるみが、俺らのテーブルに来て話に入る。
「バイトさん入れるの?」
「良晴の頑張り次第だね」
「職人さんの? どういうことですか?」
「よけーなこと言うなっての」
 きょとんとしたくるみの頭を、げんこつでぐりぐりしてやった。八つ当たりしてやる。
「いたたっ! わ、私何も言ってないのに……あたっ!」
「夫婦は痛みを分かち合うもんだろ」
「そ、それよりも小川さんと仲直りしたんですか、職人さん」
「した。雨降って地固まるってやつな。固まりまくって、そこから花でも咲きそうな勢いだ」
「意味わかんないですけど、良かった」
 くしゃくしゃの髪を直すくるみが、嬉しそうに笑った。

 久しぶりに清々しい気持ちだ。
 数か月後に美知恵と離れることが決まっていても、俺には何の不安も無い。彼女の決意を応援して、遠くから見守っていたいと心から思える。彼女の気持ちが離れそうになったら、会いに行く覚悟まで出来ている。俺のこの成長ぶりに、自分で拍手を送ってやりたいくらいだ。
 テーブル席を立って、鼻歌交じりにレジ横の家具置場へ行く。美知恵が好きだと言った俺の家具を触りながら、目標に向けてどのような新作にするかを考え始めた。