爽やかでいいお天気。
 石畳の通りを早足で歩いていく。職人さんは帰って来たし、今日は撮影日だし、空は真っ青だし、足取りも自然に軽くなるってものです……!

 角を曲がって進んでいくと、椅子カフェ堂の前で店長が掃き掃除をしていた。
「おはようございます!」
「おはよう! 早いな、くるみちゃん」
「店長だって」
 朝の六時半からお店の前で好きな人と微笑みあっちゃったりして、私ってば幸せ者過ぎる。抱きつきたいのを我慢して頭を下げた。
「お掃除させちゃってすみません」
「いいのいいの。これで気合入れてるんだから。くるみちゃんは先に仕込み始めてな」
「はい!」
 今日のスイーツはいつものチーズケーキとプリンに加えて、新作のカップケーキを三種類とフルーツタルト。店長に続いて気合を入れながら作り始める。

 仕込みを終えて、ショーケースに出来上がったスイーツを並べた。
 その後すぐに、昨夜職人さんが買ってきてくれた雑貨をホールのテーブルに広げて、どれをディスプレイするのか選別を始める。時計の針は九時を過ぎたところ。田原さんとカメラマンさんがここへ到着するのが十時半。あーもう時間が無いよ。メイクも直したいし、髪もコテしたいのに。
「そうだ、先にお花とリース飾らないと」
 昨日の午前中、撮影用の為に飾るお花を買って事務所に置いておいたものを取りに行く。
 外に出て椅子カフェ堂の扉にグリーンの葉や花で纏めたリースを飾った。扉の横には私の腰ぐらいの高さのオリーブの木が風に揺れている。秋冬用の樅の木は、倉庫の横で次のシーズンまで出番待ち。
「よし、可愛い可愛い」
 リースの位置を確認して急いで中に入り、ホールにお花を飾って、今日並べる雑貨のディスプレイを始めた。
「ちょこまか、ちょこまか、よく動くな〜。蟻かお前は」
 職人さんが倉庫から椅子を運んできた。まだ売れていなかったものを二脚抱えている。
「だって時間が無いんですよ。あ、お掃除ありがとうございました! 助かりました」
「プリン五個でチャラな」
「今日の分、なくなっちゃいます!」
 約束通り七時に来てくれた職人さんはホールのお掃除をしてくれた。割と丁寧で、窓なんか隅から隅まできっちり時間を掛けて拭いてくれた。

 ホールにいい匂いが漂って、さっきからお腹がぐうぐう鳴っている。急いでいたから何も食べてなくてつらいよー。
「良晴、くるみちゃん! 時間無いけどまかない作ったから食べな」
 テーブルの上に置かれたお皿には青紫蘇でくるまれた、しょうがご飯のおにぎり。いい香りにますますお腹が鳴ってしまう。店長ナイスタイミングです!
「店長は食べましたか?」
「こっちで食いながらやってるから平気ー」
 厨房から彼の声が届いた。
「じゃあいただきまーす」
「俺にも寄越せ。永志ありがとなー」
「おうー」
 職人さんと二人で取り合うように、おにぎりをもぐもぐと口に頬張った。良い香り。美味しくてほっぺが落ちそう。
 おにぎりを食べ終えてから私も自分の準備を済ませて、静かな店内を見回していると、店長が厨房から出てきた。職人さんは事務所に行ってしまっていない。
 天井を見上げて大きく深呼吸した。
「どうした?」
「椅子カフェ堂って、いいなぁって思って」
 隣に来た彼が私の肩を抱いた。その胸に凭れかかって、もう一度ホールを見渡す。このお店を、もっともっとたくさんの人に知ってもらえますように。
「今日、頑張ろうな」
「はい!」
 彼の体から離れた時、からりんとドアが鳴った。

「おはようございまーす!」
 田原さんが椅子カフェ堂の扉を開けた。続いて男性が二人、彼女のあとから入ってくる。
「お邪魔します」
「田原さん、おはようございます!」
「晴れたわね。絶好の撮影日和」
「はい」
 にっこり笑った田原さんに私も笑みを返す。私たちの声が伝わったのか、奥から職人さんも出てきた。
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
 挨拶をした店長に、田原さんが体格のいい男性を紹介する。年齢は田原さんと同じくらいかな?
「こちらは『呑み倶楽部』の専属カメラマン、御堂(みどう)さん。今日は無理やりこっちに引っ張って来たの」
 男性向け名店の有名雑誌だ……!
「御堂です。創刊号に呼んでいただいて光栄です。女性向けの雑誌は初めてですが、田原さんのお願いだったら聞かない訳にいかないんで」
 はははと御堂さんが豪快に笑って、店長と名刺交換をした。アシスタントは馬場さんという、御堂さんよりもずっと若い男性。店長よりは上みたいだけど。
「今日はうちの家具職人もいますので、どうぞよろしくお願いいたします」
「稲本です。よろしくお願いします」
 職人さんが田原さんや御堂さんと名刺の交換をした。

 朝日が差すから、この場所は眩しい。何度も目を瞑ってしまいそうになる。
「はい、次行きまーす。店長さん気持ち少し顔右方向へいいですか?」
 外だけで何枚撮るの〜? 
 椅子カフェ堂の前に並んだ私たちに向けて、御堂さんが何度もシャッターを切っていた。その前に椅子カフェ堂だけの外観も撮っていたから、すごい量の画像だよこれ。
 道行く人が振り返って何かを言っている。立ち止まって見物する人たちまで現れた。ものすごく恥ずかしいけど、笑顔笑顔……。絶対また職人さん笑顔が引きつってるよね、私みたいに。
 ようやく外での撮影が終わり、店内の様子と家具の撮影に入った。その間に店長が料理の準備を開始した。
 阿部さんの時で慣れているとはいえ、田原さんの指示はもっと素早くて目まぐるしくて、聞き取って返事をするのに精一杯だった。普段もバリバリお仕事してるんだろうなぁ。
「稲本さん、この椅子の特徴と、どういったふうに使われたいかを、お話してもらえますか」
 バシャバシャと椅子を撮影されている間、田原さんに質問された職人さんが緊張しながら答えている。
「あっちの飾り棚は購入できますか?」
「オーダーいただければ作ります」
「ここにある雑貨の説明をお願いします。購入場所や年代がわかれば、それも」
「あ、はい」
 職人さんの話を聞きながら、田原さんが私に言った。
「くるみさん。窓際の雑貨のディスプレイはそれで大丈夫ですか?」
「はい」
「窓の外からも撮りたかったのよね。御堂さん、そっちお願いしていい?」
「はいよー。ちょっと待ってね」
 陳列された家具を御堂さんがどんどん撮っていく。
「有澤さーん! 二十分後、盛り付けいいですか〜!?」
「わかりました! オッケーです!」
 田原さんの大きな声に厨房から店長が返事をした。活気があっていいなぁ、こういうの。緊張するけど同時にわくわくもする。

 店長が料理をテーブルに運んだ。
 ふわふわの卵が載った新作のオムライス、牛肉とズッキーニとパプリカの炒め物のワサビ醤油掛けは、しょうがご飯とのワンプレート。去年の夏に好評だったマンゴーカレーと今は定番のカルボナーラ。シーフードを使ったサラダバゲット、冷たいトマトクリームスープ。
 田原さんがカトラリーや飲み物の配置を決め、角度や映る範囲を御堂さんと何度も確認しながら進めていった。アシスタントさんの手際の良さに驚いてしまう。御堂さんの一言でどう動くのか瞬時にわかるってすごい。
 御堂さんのデジタル一眼レフの画像を、田原さんと一緒に覗かせてもらった。
「わ、すごく綺麗ですね」
「うーん。これはもう一枚、少しアップで撮りたいかな」
 田原さんは納得がいかないと、何度でも御堂さんに取り直しをお願いしていた。
 阿部さんの言った意味がわかった。田原さんは、本当に出来る人なんだ。妥協を許さない彼女の真剣さに感激してしまう。
「じゃあここで一旦休憩入りまーす。お疲れ様でした」
 田原さんの掛け声に、店長が続いた。
「このメニュー、全部大目に作ったので、良かったら皆さんで召し上がって下さい」
「ありがとうございます! すごく食べたかったのよ、本当は」
 嬉しそうに田原さんが言うと、傍にいた御堂さんも喜んだ。
「でも料金は請求して下さいね」
「そういうわけにはいきませんよ〜」
「駄目駄目。社から出るから心配しないで、ちゃんと言って」
「じゃあ、お願いします」
 皆で世間話をしながら、店長の作った料理に舌鼓を打つ。オムライスを口にすると、店長は私に目配せをした。うん、本当にカフェ・マーガレテのより何倍も美味しくなってる!

「次はスイーツね。くるみさんお願いします」
「はい」
 指定されたテーブル一杯に、お皿に載せた色とりどりのスイーツを並べていく。
「あーもう、可愛いっ!」
 田原さんが新作のカップケーキを前に叫んだ。
「ありがとうございます」
「訊いてみたかったんだけど、クリームの上の飾りは何で出来ているの? マジパンじゃないわよね?」
「マシュマロフォンダントです。発色が綺麗で形が作り易いので、マジパンから替えたんです」
「これマシュマロフォンダントなのね! 海外のお菓子によくあるけど、あっちのは色が強いものばかりだから同じものだとは思わなかったわ。淡いパステルカラーが本当に可愛い」
 にこにこしていた田原さんは突然厳しい表情になって、カメラを持つ御堂さんを振り向いた。
「御堂さん、かっこよくじゃなくて、これは可愛く撮って下さいね」
「俺に可愛さを求めるって無茶過ぎなんだけど……」
「あなたなら出来る! 新境地を開いてみせるのよ!」
 二人のやり取りに皆で笑ってしまった。真剣だけど和んでしまう。

 全ての撮影を無事に終えて、御堂さんと馬場さんが片付けを始めた。まだ明るいけれど、もうすぐ四時。あっという間だったな。
 田原さんと私たちは席に着き、彼女が今後の話を始めた。
「発売は七月十五日を予定しています。二週間後くらいに、レイアウト画像と文章校正を送りますね。阿部ちゃんの時と同じなんだけど、わからないことがあったら何でもおっしゃってね」
「はい」
「今回は創刊号で私がライターを兼ねる部分があるからついて来たけど、編集が来ることはあんまりないのよ」
「そうなんですか?」
「大体はライターが取材に来るの。阿部ちゃんがここに来たのも実は特別。記事は他のお店と変わらない大きさだったけど、彼女は椅子カフェ堂をもっと大きく特集したがってたのよね。私と同じでここを気に入っていたから」
 その時は意見が通らなかったと言う。椅子カフェ堂がまだ一年未満のお店だったことが、認められない原因だったみたい。
 片づけを終えた彼らを見送り、私たちもホールを片付けて、事務所に集まった。

「俺が買ってきたチーズ食おうぜ。朝、ワインも買って来たからな」
 職人さんが冷蔵庫から店長に渡した昨日のチーズを取り出し、ワインを机に置いた。あとから事務所に来た店長が、三つのグラスに入った何かを抱えていた。
「その前に、これ。疲れが取れる自家製ジンジャーエールで乾杯しよう。明日も早いからな」
「へえ。自家製ってお前が作ったの?」
「ああ。割と簡単だったよ。じゃー、お疲れ!」
「お疲れさん」
「お疲れ様でした!」
 乾杯したジンジャーエールが舌にぴりりと刺激を与えた。
「美味いじゃんこれ」
「だろ?」
 職人さんがすぐに飲み干し、ワインのコルクを抜き始めた。
 隣にいる永志さんの横顔を見つめていると、私の視線に気付いた彼が首を傾げた。
「ん? どうした?」
「ううん。何でもないです」
 慌てて首を横に振る。まだ、だよね。撮影で疲れてるだろうし、明日も営業だし。

 昨日の誘いを待ってた、なんて言うのは、また今度にしよう。