届いたショーケースにケーキやプリンを並べ、一昨日からテイクアウトの販売を始めた。
 レジを置いていたカウンターは事務所へ運び、代わりに職人さんが作った幅の狭いテーブルを設置する。そこをレジ置き場にして、空いた場所にショーケースを置いた。ショーケースは三段のシンプルな物。これもそれほど幅はないから、私が作れるスイーツの量にちょうどいい大きさだった。

 食事を店内でしていくお客さんに加わり、ケーキだけを購入しに来るお客さんが来るようになった。
 以前店長が職人さんを呼ぶのに使っていたベルを、テイクアウトのお客さんがショーケースの前で鳴らす。高い音が響き、ホールのオーダーを終えた私は、ショーケースへ急いだ。
「お待たせしました。いらっしゃいませ」
「プリンを二つと、苺のショートケーキを二つ下さい」
「ありがとうございます。少々お待ちくださいませ」
 にっこり笑って対応するけど、実はケーキを箱に入れるのが苦手なんだよね。大きさの違うスイーツを綺麗に並べるのが、こんなに大変だなんて思わなかった。試食をここに持ってくる時はかなり適当だったから、気にしたことはなかったんだけど。
 賞味期限のスタンプを押してあるシールを箱に貼り、女性のお客さんに渡す。
「ありがとうございました! お次の方、お待たせしました。どうぞ」
 並んでいた次の人を受け付ける。
「チーズケーキを三つとカップケーキのバニラとピスタチオを三つずつ。あとフルーツタルトを三つね」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
 すごい量だよ。あー忙しい! 忙しくて忙しくて……頬が緩んでしまう。人が少なくて悩んでいた頃が嘘みたい。
 私がテイクアウトのお客さんに対応している間は、店長がホールに出てくれていた。三日目にして、やっと連係プレイに慣れてきた感じ。
 厨房に行き、オーダーを受けてくれた彼に声を掛ける。
「店長すみません、ありがとうございました」
「おう、売れて良かったな。今、三番テーブルのグラタンと、アンチョビとブロッコリーのパスタ出るよー」
「はーい」
 カフェ・マーガレテのことが気にならないと言えば嘘になる。でも、実際そこへ行ってみた私たちは、もうあのお店を怖れることはなくなった。カフェ・マーガレテの雰囲気や味、雑貨や家具を見て、椅子カフェ堂が負けるとは到底思えなかったから。

 今日のお客さんは三十組。テイクアウトのお客さんが九人だから、二人で対応するにはちょうどいい来客数だった。
 レジ締めを終えた私は一番奥の照明だけを残して、ホールの明かりを消した。明かりの灯るペンダントライトの下、二人用のテーブル席に彼と向かい合って座る。
「いよいよ明日だね」
「はい」
 田原さんたちがここを訪れてから、三週間になろうとしていた。メールで何度かやり取りをし、その後も企画は変わりなく、椅子カフェ堂が特集されるというのは確実だった。
 そしてその撮影は明日。
 彼が淹れてくれたカプチーノで乾杯をする。良い香りと味に舌が喜び、疲れた体を癒してくれるのがわかった。美味しい、と小さく溜息を吐いてからもう一度口にした。
「くるみちゃん大丈夫? テイクアウトが始まって、ここのところ本当に疲れただろ?」
「大丈夫です。永志さんと一緒だから」
 これは本当。彼と一緒なら疲れなんて何も感じない。気持ちが通じ合ってからは尚更、傍にいられるだけで何もかもが幸せだった。こんなにたくさんどこから湧いてくるんだろうってぐらい、恋の力は凄い。
「嬉しいこと言ってくれるね。こっちおいで」
 微笑んだ彼が手招きをした。こっちって、隣に座ればいいのかな? 立ち上がって彼の横にある椅子に座ろうとすると叱られてしまった。な、何で?
「違う違う、そこじゃないよ、ここ」
 ここ、って指差した場所、それ永志さんの膝の上なんですけど!
「でも、誰かに見られちゃう」
「いいから。もう店閉めて時間経つし、誰も来ないよ」
「ドアの鍵を閉めたか確認してきます」
 一歩踏み出した時、彼に腕を掴まれた。
「あ」
 逆らうことも出来ずに彼の膝の上に乗せられる。横向きに座らせられて腕の中に閉じ込められた。
「心配性だな、くるみちゃんは」
「だって永志さん、いつも閉め忘れるじゃないですか」
 絶えず私の髪や頬を撫でている彼の胸に凭れて、その鼓動に耳を傾ける。
「くるみちゃん」
「……はい」
「肩、がっちがちだな」
 ははっと彼が笑った。こんなの初めてなんだから緊張するに決まってます……! 下から彼を睨んで口を尖らせた。
「からかうんなら降ります」
「からかってなんかないよ。こっち向いて」
 彼は私の顎に手を掛け、優しく上を向かせた。目を伏せて唇を重ねてきた彼に応える。柔らかな舌は、今飲んだばかりの甘いカプチーノの味がした。唇を離した彼が、すぐ傍で私を見つめた。もっと味わいたかったな、なんて。

「あのさ」
「……はい」
 毎日毎日見てるのに、それでもやっぱり素敵だと思ってしまう、その表情。
「俺のこと、好き?」
「え!」
 真面目な顔で彼が呟いた。
「きゅ、急にどうしたんですか」
「言って欲しいんだけど」
 私の頬に手を当てたまま、彼は額を私のそれに押し付けてきた。近すぎて眩暈が起きそう。
「……好きです。好きじゃなきゃ、こんなことしません」
「じゃあ、どんなとこが好き?」
 私の唇に彼の息がかかる。
「優しくて、努力家で、料理上手で……うるさくなくて、落ち着いてるところ」
「そうか、ありがとな」
 あ、駄目。そうじゃない。
「ううん、違います」
「違うって何が?」
「全部好きなんです。一人で悩んでるところも、悲しいことがあって抱え込んでいるところも、勘違いしやすくて少しこどもっぽいところも、全部。全部好き」
 驚いた表情をした彼が、すぐに穏やかな声で囁いた。
「俺もくるみちゃんのこと、全部好きだよ。頑張り屋で、可愛くて、ポジティブで、少し泣き虫で」
「……永志さん」
「怒ったり、慌てたり、人に気を遣い過ぎたり、そういうところも全部、好きだ」
 ああ、なんか熱い。何度も溜息が出てしまう。息苦しいっていうのかな。好き合っている恋人同士って、こんなに甘い言葉を囁き合うものなの? 慣れてないからほんと、どうしていいかわからない。視線を合わせるのすら恥ずかしい。
「どれくらい好き?」
 もう質問は終わりだと思ったのに。そんな高校生カップルみたいなこと聞いてくるなんて、どうしちゃったんだろう。
「すごく、好きですけど」
「ものすごく?」
「ものすごく、大好き、です」
「眠れないくらい?」
 耳に唇くっつけてそんなこと言われたら、力が抜けて膝の上から落っこちそうだよ。
「……つらかった頃は眠れなかったです。最近は寝てますけど」
 本当に悩んでいた頃は苦しくて胸が痛くて彼の夢ばかり見ていた。夢の中でも告白できなくて片思いしていたんだけれど。
「俺、眠れないんだ」
「え……?」
「くるみちゃんのことを思うと、なかなか眠れない。毎晩」
 顔を離して子どものようにむくれた彼の表情に、胸がきゅんとなった。
「明日が撮影で、この店が掲載されるのは確実になった。椅子カフェ堂が存続できると決定するのも、もう時間の問題だ。だから」
 彼が一回深呼吸した。……だから?
「だから、くるみちゃん」
 彼の瞳の奥を見つめる。もしかして、そろそろ、なの? 私はいつでも準備が出来てるから、なんて答えたらどんな顔されるかな。
「今夜、俺と一緒に」
 睫が触れそうなくらい傍で彼が囁いた時、椅子カフェ堂の扉がバタンと開いた。
 やっぱり閉まってなかったんだ……! 誰? 二人で肩をびくっとさせて、そちらを振り向く。
「ったく不用心だな、相変わらず」
 どさっと荷物を床に置いたその人が、薄暗い場所から私たちの方を見た。
「……何やってんの? お前ら」
 呆れた声を出した男の人を、彼と私で凝視する。う……嘘。
 ほんとにほんとに、本物ーー!?

「職人さん!!」
「良晴!!」
 私と永志さんが叫んだのは、ほぼ同時だった。