椅子カフェ堂の扉を開けると、眩しい光と共に冷たい風が入り込んできた。
 すっかり冬らしくなった十二月初旬の朝。風に吹かれて舞い落ちた枯葉を箒で集める。はす向かいのお店から出てきたスタッフさんと挨拶を交わした。多分私と同じくらいの歳の人。
「寒いですね〜」
「急に冷えてますよね〜。あの〜今日の日替わりワンプレートって何ですか?」
 新しくできたキッチュな雑貨を扱うお店。そのチョイスが可愛くて、私も休憩時間に度々覗かせてもらっていた。
「確か塩麹のチキンソテーだったと思います。サラダとお味噌汁付の」
「あれ美味しいですよねえ! あとで行きますね〜」
「ありがとうございます。お待ちしてますね!」
 最近こんなふうに声を掛けてもらえることが多い。寒いけど、こういうことがあると心がいっぺんに温まる。

 そして椅子カフェ堂を振り向けば、ドアの横に最近の私にとって一番の元気の素がそこにあった。頬を緩ませながらそれに近付く。
 憧れの! 樅の木!! 本物だよ!!
 よく頑張ってるご褒美にって、少し早いクリスマスプレゼントとして店長が買ってくれた。子どもの背丈ほどしかない鉢に入った小さなものだけど、私にとってはどんな豪華なプレゼントより嬉しい。職人さんはまた、くるみに甘すぎる! って店長に怒ってたけど。
 ツリーの飾りは私が焼いたジンジャークッキー。人形、星、クマの型抜きをしたクッキーに穴を開けて焼き、そこに細い麻ひもを通して木に吊るす。それだけだと寂しいから、靴下、帽子、林檎の形に赤い毛糸でざっくり編んだオーナメントを飾った。その上からツリー用のライトを巻き付けて終了。
 椅子カフェ堂のドアには、大きなリボンと樅の葉、柊の葉と赤い実、松ぼっくり、姫リンゴで彩られたクリスマスリースを飾った。
 お客さんのテーブルに邪魔にならない大きさの蝋燭を用意する。窓際のディスプレイはクリスマスを意識して赤が入る雑貨をメインに置き、グリーンのピンポン菊をところどころにあしらった。いつもはシンプルな店内だけど、この時期は華やかでもいいよね。

 店長のおばあさんがここへ来てから一週間。あの日を境に彼は何かを吹っ切ったかのように、以前と同じ落ち着きと笑顔を取り戻していた。力みや焦りも消えたみたい。何より無理をしていないことがわかってホッとしている。
 忙しいランチ時を過ぎた夕方、奥から職人さんが急ぎ足でホールにやってきた。
「くるみ、ちょっと」
「はい?」
 すごい勢いだったのに、ホールにいる数人のお客さんを見て口ごもった。
「あー……」
「どうしたんですか?」
「いや、今はまずいか。手が空いたら事務所に来てくれ」
「もうすぐ休憩なので、すぐに行きます」
「なるべく早くな!」
「? はい」
 どうしたんだろ。あんなに焦った職人さん、初めて見た。
 しばらくしてから休憩に入り、事務所へ行くと私を見た職人さんが立ち上がった。
「おせーんだよ、お前は!」
「そんな怒んなくたって」
「いいから早く来い」
 職人さんに腕を引っ張られてパソコンの前に行く。椅子に座った彼の横に立った。
「これ見ろ!」
 指を差された画面にはメールがひらかれていた。


 ――椅子カフェ堂 担当者様

 突然メールをお送りして、失礼いたします。
 私は葉嶋出版社編集部の阿部と申します。
 「na-noha」という雑誌の担当をしておりまして、この度そちらの沿線にあるカフェを特集することとなりました。
 椅子カフェ堂様のホームページを拝見しまして、そちらのお食事、スイーツ、家具や雑貨などに大変惹かれるものがあり、ご連絡いたしました。
 ぜひ一度そちらにお邪魔して、お話を伺いたいのですが、いかがでしょうか?
 前向きにご検討のほど、どうぞよろしくお願いいたします。


「こ、こここれ、有名な雑誌じゃないですか!」
 職人さんの肩を掴んで揺さぶった。手が、手が震えてるよ〜! 
 どこの本屋に行ってもある、コンビニにも置いてある女性向けの雑誌。旅行や雑貨、ベーカリーにレストラン、本屋に美術館、その中で年に数回カフェの特集がある。私だって何冊も持っている有名な雑誌。
「な? な? どうすんだよこれお前、どうすんだよ!」
「ほ、ほほんとに? ほんとかな? 騙されてないですよね?」
「さっき出版社のサイトで確認したらさ、担当の人のメールアドレスと同じのがあった」
 私を見上げた職人さんと目が合う。お互い口を開けたまま一瞬見つめあって、すぐにパーンと両手を合わせた。い、いいい痛ーい! でもにやにやが止まらない! 職人さんも珍しく嬉しそうに笑ってる!
「永志はまだここに来れねーよなーあ!?」
「お店しめないと無理ですよおお!」
「今日はもうしめようぜええ!」
「そんなの無理いいい!」
「ここもこれで安泰じゃねーの!?」
 職人さんは椅子カフェ堂存続の為の条件を知っていた。一緒にお店やってるんだから当然なんだけど、マイペースだから職人さんから焦りも何も感じられなくて気付かなかった。でも本当は椅子カフェ堂のことを心配してるんだよね。店長の体調も気遣っていたし。
 それにしても、ほんとにほんとにほんとに!? あの無茶な条件に一歩近づいたの!? 一歩どころか、もうこれでクリアしちゃうんじゃない!?
 休憩が終わってホールに戻ったあと、店長が喜ぶだろうなって思ったら、ずっとそわそわしちゃって、時間がなかなか経過しないのがもどかしくてたまらなかった。
 閉店の時間になり、ようやく店長に知らせて、そのまま三人で事務所にこもった。店長は喜びつつも緊張しまくりで何度もメール内容を打ち直し、私と職人さんで見直しをして、最後にまた店長が確認してから返事を送った。
 翌日すぐに編集部から返信が来て、椅子カフェ堂にはその三日後、編集の阿部さんが来店することに決まった。


 お客さんも出払った閉店直前の八時五分前にその人は現れた。お客さんは既に出払っている。テーブル席へ案内し、待機していた店長と職人さんが迎えた。私は素早くドアに閉店のプレートを下げてお店を閉めた。
「葉嶋出版の阿部と申します。よろしくお願いします」
「椅子カフェ堂店長の有澤と申します。よろしくお願いします」
 店長と阿倍さんが名刺を交換している。次に職人さんも交換し、私は何も持っていないので、いただくだけで挨拶を済ませた。
 当たり前だけど葉嶋出版社、na-noha編集部って書いてある。すごい。失礼だけど、これでやっと本物なんだと実感が湧いた。
 四人席の向かい合わせに店長と編集担当さん、担当さんの隣に私、店長の隣に職人さんが座った。
「こちらは今年開業されたのですか?」
「はい。四月の初めに」
 店長の緊張がこっちまで伝わってくる。頑張って……! 
 お店のことを一通り質問した阿部さんは、店長が出したエスプレッソをいただきますと言って飲み、静かに言った。
「私としてはぜひ、こちらのお店を雑誌に掲載させていただきたいのですが、いかがでしょうか?」
「もちろん、お願いします!」
「ありがとうございます。それではその方向でお話を進めさせていただきますね」
 この人、すごく感じがいい。手際もいいし、安心して任せられそう。
「一月発売の二月号の予定ですので、冬のメニューのおすすめをいくつか作っていただきたいのと、そちらの家具と雑貨を撮らせて下さい。それから店長さんのお写真をお願いしようと思うのですが、顔出し大丈夫でしょうか?」
「ああ、はい。構いません」
 そうそう。むしろ店長は絶対に顔出しした方がいいんだよね。またファンが増えちゃうだろうけど、椅子カフェ堂のためなんだから、我儘言ってちゃ駄目。
「あの、皆さんもいかがでしょうか。一緒に撮影をしていただければ助かります」
「えっ!!」
 他人事のように聞いていた私と職人さんは驚いて大声を上げた。
「そんなに大きくは映しませんので大丈夫ですよ。ご無理なら仕方ありませんが」
 店長が頑張ってるのに嫌がるわけにもいかないよね。目の前にいる職人さんと視線を交わし、頷き合った。
「いえあの……お願いします」
「よろしく、お願いします……」
 声ちっさ! 職人さんと私、いつもの勢いが全然なくて借りてきた猫みたいになってるよ。店長のこと頑張って、なんて言える立場じゃなかったです。
「今いただいているエスプレッソとチーズケーキ、とても美味しいです」
「ありがとうございます」
 編集さんの言葉に店長が嬉しそうに答えた。
「スイーツは他にもあれば、できるだけ出していただけると嬉しいのですが」
「あ、あります!」
 阿部さんは返事をした私を振り向きにっこり笑って、ではお願いします、と頭を下げた。
「撮影日は今月二十六日の十一時からでよろしいでしょうか。営業に差支えありませんか?」
「その日は元々休みの予定でしたので大丈夫です」
「わかりました。私とカメラマン、カメラ助手で伺います」
「はい」
「掲載する号は一月二十日発売の二月号の予定です。経過はメールでお知らせしていきますので、よろしくお願いいたします」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします!」

 一時間ほど話をして、阿部さんは帰って行った。
 私たち三人はしばらく黙ったまま、ぼんやりと彼女にもらった名刺を見ていた。
 こういうことって、何の前触れもなくやってくるんだ。突然のことだけど、浮かれている場合じゃない。
 撮影まで二週間。その直前はクリスマスでお店は今まで以上に忙しいはず。せっかく掴んだチャンスを逃がさないように、駄目にしてしまわないように、自分なりに準備をしておこう。