九月中旬の日曜日。残暑が厳しい午後二時半。ランチタイムも終わって一息吐き、カウンター前に店長と二人並んで椅子に寄り掛かりながら、窓の外を見つめた。
 ホールにお客さんはゼロ。日曜日なのにどうして、と不安になる。

「なんか、また人減ってない?」
 奥から出てきた職人さんが、ホールにずかずかと歩いてきながら言った。
「あの喜びは一体何だったのか……!」
 雑貨の中からワイヤーでできた籠を持ち上げ、職人さんが私をびしっと指差した。な、何で私!? そんなこと言われても、私にだって原因がよくわからない。
 言い返せなくて困っていると、横から店長がフォローしてくれた。
「やっぱあれだよ。物珍しいってのもあっただろうし、無料券もあったし、チラシも配ったしな〜。くるみちゃんのせいじゃないから気にすんなって」
 リニューアルの日から一か月。
 最初の一週間は初日と変わらないくらいの人で賑わい、従業員を増やした方がいいかもしれない、なんて話し合っていた。でもそれから徐々に徐々に人が減ってきて……。リニューアル前よりは多いけど、落ち着いてきただけとも言い難い、微妙なお客さんの数にまで減っていた。
「新作考えるかな。くるみちゃんの方もいい?」
「そうですね。暑いとはいえ、季節的にフローズン系は、そろそろ終わりにしたいし……」
 秋だと栗、サツマイモ、カボチャ、かな。俯いて考えていると、急にしゃがんだ店長が、私の顔を下から覗き込んだ。
「明日明後日連休だから、新作開発の為に、なんか一緒に食べ行こうか。くるみちゃんがおススメの店に連れてってよ」
「え」
 えーえーえーっ! 一緒に? お出かけ? お休みの日に?? 店長と???
「なんか他に予定あった?」
「だ、大丈夫ですっ!!」
「良晴も行く?」
 店長の問い掛けに、家具を確認していた職人さんが無理ーと言った。
「何で? 仕事?」
「棚のオーダー入ったんだ。月末の引っ越しまでに入れたいってお客さんだから、明日明後日はずっと作業してる。お土産買ってきてよ」


 秋らしい薄いモカ色の七分袖ブラウス。紺色のフレアスカートはウエストの後ろにリボンが付いている。昨日の休みに買ったばかりの洋服なんだけど、変じゃないかな。何度も足元のストラップのヒール靴を見ては溜息を吐く。
 小走りの足音が近付いて来た。顔を上げると、店長がこちらへ向かって来た。
「ごめん。待たせた?」
「いえ、全然です。おはようございます」
 どうしよう、すごくかっこいい。グレーのパンツに、細身の白いワイシャツを着てる。シンプルなんだけどすごく良く似合ってる。ていうか多分、何を着ても様になるんだろうな。
「おはよ。髪切ったの?」
「はい」
 顎の長さのボブにして、裾を少し内側に巻いた。
 髪切っちゃって、その帰りに洋服も買っちゃったりして。張り切り過ぎなの、引かれちゃうかな。
「可愛いじゃん、ふわふわしてて。洋服もいつもと感じが違うね」
「店長も」
「久しぶりに女の子とデートだからさー、張り切っちゃった」
 デートって普通にさらっと言っちゃったよ。その恰好、すっごくかっこいいです……。なんて言いたいけど、なんか言えない。
「私も張り切っちゃいました。一緒ですね」
 笑って誤魔化すのが精一杯だよ。意気地なしめ。
 待ち合わせしていた駅の構内を出て、道沿いに歩き出した。彼は歩道側にさりげなく私を寄せてくれる。
「でっかい財布だなぁ」
「え?」
「それ。そんなん売ってんだ?」
 横を歩く店長が私の手元を指差した。思わず笑ってしまう。
「これバッグなんですよ〜。がま口の形してますけど、財布は中に普通のが入ってるんです」
「そうなの? ごめん、俺、女の子のものよくわからなくて……」
 店長が恥ずかしそうに笑った。そこで肩の力が抜けたことに気付く。私、緊張しまくってたみたい。

 ここは都内でも有名なカフェの激戦区。
 チェーン店よりも、個人で経営しているカフェの方が格段に人気が高く、行列もできやすい。雑誌などにもしょっちゅう特集される場所で、私も学生の頃はよくここへカフェ巡りに来ていた。ただ、お店の回転も速くて、次に来たときにはなくなっていた、なんて残念なこともよくあった。
「ここのお店です。雑誌に載ってて、どうしても来てみたくて」
 まずは朝一番で、前から目を付けていたスイーツのお店にやってきた。店構えをチェックする。前はただ素敵、で終わってたけど、今日は仕事としてきているから気合を入れて、しっかり見ておかなくては。
「くるみちゃん。悪いんだけど、今日は店長って呼ばないでくれる? 向こうも同業者だってわかったら、やりづらいだろうし」
「そうですよね。じゃあ……」
「永志でいいよ」
「さすがにその、上司を呼び捨てはできないので、さん付けでもいいですか?」
「いいよ。呼んでみて」
「い、今ですか?」
「そう、何事も練習練習」
 私の顔を見た店長が意地悪く笑った。
 練習って……。こんなふうに改まっちゃうと、余計恥ずかしいんですけど。そんなことより早くお店に入ろうよ〜……。
「早く呼んでみて」
「え、永志、さん」
 大事なところで噛んじゃったよ。私今、顔真っ赤じゃない?
「くるみちゃんさあ、そんなに恥ずかしがらないでよ。なんかこっちが照れるじゃん……」
 今度は店長が首の後ろに手をやって、恥ずかしそうな仕草をした。何をやっているんでしょうか、人の店先で。
「営業中以外は、そうやって呼んでくれると嬉しいかな。一日中店長やってるわけじゃないからさ」
「わかりました」
 慣れるまでに時間がかかりそうだけど、店長がそう言うのなら仕方がないよね。永志さん、か。あーだめ、やっぱり恥ずかしい……。

 お店の扉を開けると、大きなショーケースに目に飛び込んだ。色鮮やかなケーキやチョコレートが収納されている。赤紫の絨毯が敷き詰められた店内のインテリアは独特で、老舗のカフェのような高級感が漂っていた。
 オーダーをしてしばらくすると、四角く平らな横長のお皿がテーブルに運ばれた。可愛らしいプチフールが横一列に並んでいる。
「左から、ガトーショコラ、カシスムース、ピスタチオクリーム、モンブラン、ラズベリータルトになります」
 店員さんがひとつひとつ説明してくれ、クラッシュアイスを山盛りに入れたグラスに、熱い紅茶を一気に注ぎ淹れた。
「それではどうぞ、ごゆっくり」
 一口で終わってしまうくらいの小さなスイーツが、宝石のように輝いて見える。
「可愛いくて食べるのが勿体ないです……!」
「綺麗な盛り付けだな〜。懐石料理みたいだ、それ」
 店長の前には、真四角に折りたたんで焼かれたパイがお皿に載っている。真ん中にはフリルのようなマロンクリームが、生クリームと一緒に飾られていた。そっちもすごく美味しそう。彼はアイスコーヒーを一口飲んで、パイにナイフを入れて切り取り、フォークに刺して私に向けた。
「はい、あげる」
「え!」
「食べたそうだったから、ひとくちね」
「い、いいんですか?」
「いいよ、もちろん。はいどうぞ。口開けて」
 どうぞったって、まさかこのまま食べるの? でも恥ずかしがってたら、さっきみたいに困らせてしまうかな。思い切って口を開けると、嬉しそうに笑った店長がパイを入れてくれた。
 ほっぺたが落ちるってこういうことなんだろうな、というくらいに美味しい……! 手作りのパイってこんなに美味しいもの? 感動している場合じゃない。もらいっぱなしは、さすがに悪いよね。
 私も意を決して、ひとつのプチフールをフォークに刺し、店長に向けた。
「いいの?」
「もちろんです! どうぞ」
「ありがと」
 店長がプチフールをぱくっと口に入れた。フォークを咥えた振動が私に伝わる。
 なんか、なんか、こういうのって、いちいち意識してる私の方がおかしいのかな。だってこんなの、恋人同士にしか見えないじゃない。でも店長はきっと慣れてるんだろうな。別に普通にしてるし。
 そうだよ、これはお仕事なんだから。浮かれてる場合じゃない。
「永志さんすみません。ちょっとメモ取りますね」
 さりげなく呼んだけど、こういう感じでいいのかな? 何事も無かったかのように、冷たいアイスティーを一口飲む。
「偉いえらい。忘れないうちに書いちゃいな」
「はい」

 宝石みたいなプチフールは、さっと口の中で溶けて泡のように消えてしまった。
 今日の楽しい時間も、このクリームみたいにあっという間に終わってしまうのかな。浮かんできた切ない気持ちが、メモしていた走り書きを、一瞬止まらせた。